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「江戸の暮らしに学ぶ~江戸人の生活と文化~」

投稿日:2017年01月06日
半年間で6回の講座です。時間は毎月第4月曜日午後2時から4時です。室内での講座ですが、毎期1回程度は現地を巡っています。現在受講生は14名。

今回は2016年12月26日の現地講座をリポートします。この日のテーマは「両国界隈・赤穂義士ゆかりの地を巡る」、講師は徳川林政史研究所 非常勤研究員の西 光三さんです。

最初に訪れたのは両国橋。
両国という地名は両国橋に由来するとのこと。その両国橋は千住大橋に続き隅田川に2番目にかけられた橋で、「大橋」と名づけられたが、西側が武蔵国、東側が下総国と2国にまたがるため、俗に「両国橋」と呼ばれるようになり、元禄6年(1693年)に新大橋が架けられると正式名称になったそうです。



徳川幕府は防衛上の理由から隅田川への架橋は千住大橋以外認めなかったが、1657年の明暦の大火で、10万人もの死傷者を出したことから架橋されることになったとのこと。
橋のたもとには赤穂義士の一人、大高源吾の「日の恩や 忽ちくたく 厚氷」の句碑がありました。



次に訪れたのは橋から200メートルほど東にある無縁寺回向院(正称は諸宗山)。



明暦の大火で亡くなった10万8千人の万人塚、安政の大地震、水死者、焼死者、刑死者などの無縁仏も埋葬するようになったとのこと。



あらゆる宗派だけでなく、人、動物すべての生あるものを供養するという理念から、軍用犬、軍馬慰霊碑や「猫塚」「唐犬八之塚」「オットセイ供養等」犬や猫、小鳥などさまざまな供養碑、ペットの墓等も多数あります。







天明5年(1785年)以降、回向院境内ではたびたび勧進相撲が興行されており、これが今日の大相撲の起源となり、明治42年(1909年)旧両国国技館が建てられるきっかけとなった。国技館建設までの時代の相撲をさして回向院相撲と呼ぶこともあるそうです。
こちらは昭和11年、大日本相撲協会によって建てられた物故力士や年寄りの霊を祀る力塚。



寛政5年(1793年)老中松平定信の命によって造立された水子塚は水子供養の発祥とされている。



2階軒上の竹の植え込みは見事でした。



次に訪れたのは吉良上野介屋敷跡。





吉良上野介が松平登之助の屋敷跡を拝領したのが元禄14年(1701年)9月3日。浪士の討ち入りがあって没収されたのが元禄16年2月4日ということで、吉良家の上屋敷となっていたのはわずか1年半弱。



上野介といえば大名などに賄賂を要求する悪辣なイメージで語られるが、当時の賄賂は「まいない」といい、高家の指南に対する礼金として献上することが通例のものであったということで、それを求めた上野介だけが特別だったわけではないとのことなどを学びました。



この後、両国の国技館を見学して2時間の講座を終えました。

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